笑うカスタネット/m.qyi
ない。僕も君も同じ個人だといっても、その個人の尊厳があるといっても、社会的文化的、
そして物理的な条件を全く排して存続しているものではない。例え何の制約がなかったに
しても、純粋な自分の意志でものごとが決められるわけがない。よく言われるように自由
が個人の属性であると言われているが、それは簡単に剥奪され得るし、所謂公正正当な手
続きにより最終的に自由を束縛することが実際に自由主義社界のルールになっている。そ
こに、大衆の独裁を認めるものが自由民主主義であると言えるだろうし、そうなれば、功
利的なルールで自由を束縛する事を容認することになる。功利を容認するといえば、快楽
の換算が許さ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(7)