ヌーヴェル・ヴァーグという美学 ; 批評“そのもの”として/葉月二兎
 
を確認する。そのフレームは共犯者とそれ以外とを“区別;separate”するが、その計画(あるいはフレーミング)の“決断;decide”はすでになされている。〔作品:作者:読者〕というカップルは、そもそも連綿と続く(各人それぞれの)“決断/判断;decide”によって、形成されているのである。彼らはフレームの外で、個々の言葉を取捨選択し、その言葉に“判断を下し;decide”、そうして洗練された言葉をフレームの内で発話する。

 だが、彼らの連帯がすでに“決断/判断;decide”されたものであるからといって、それは互いの意見が一致するということではない。

 そう、実のところ彼らの意見が
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