ヌーヴェル・ヴァーグという美学 ; 批評“そのもの”として/葉月二兎
加えること』であるのだ。
作品は、沈黙した、眼に見えぬ作品は、ひたすら、みずからそうであるところのものなので
ある。すなわち、閃光にして言葉、自己主張にして現前であり、その〔批評言語の語る〕とき
作品は空虚のなかで、みずからを変質させることなく、いわば作品全体についてのようにし
て語りだす、――批評的介入がみずからの使命として産出した、あの良質の空虚のなか
で。批評言語とは共鳴空間なのだ――作品の、語らず、不確定な実体が、そのなかで、一
瞬、変容して、みずからを言葉へと閉じこめるような共鳴空間なのだ。
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