ヌーヴェル・ヴァーグという美学 ; 批評“そのもの”として/葉月二兎
 
”イマージュ:映像:視覚性という断ち得ない制度――を逸脱させるものとして、<映画の余白>というべきものを語っている。

   (ヌーヴェル・ヴァーグというのはそういう意味[余分なものが残ってしまって消えない。結局
   はそういう説明不可能な部分が結局は映画だということ(意味)]で、)全くイデオロギーから
   はずれた余分なものを、それを誰も名ざすことのできない余白を、いわばマイナスのカード
   を全部集めて一気に逆転させるような美学だった。

                        ―――吉田喜重

 この<映画[フレーム]の余白>に生じた声:音階;音“波(Vagu
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