五十日目の日記/縞田みやぎ
ことがなにより嬉しかった。
天罰と言われていたことを知った。
あとはだいたい,ネットに帰って来ての通り。4月から避難所運営は市と自治組織にゆだねて自分は任務を解除され,以前の業務に戻りつつある。クライアントの被害が大きいので,通常運営は5月にならないと始まらない。今は被害の小さかった地域はだいぶ機能が回復し,並ばずとも物が買えるようになり,欠乏感は薄くなってきた。でもまだまだ訃報と別離が止まらない。かなしみはもっと終わらない。このまち,そんなに好きでなかった。不便だし,柄悪いし,変なにおいがするし。でも失ってしまって,ああ,本当に,自分はこのまちに住んでいたのだったのだなあと思
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