五十日目の日記/縞田みやぎ
区の水は結局ぜんぜん引かず,大型のポンプ車が水をパイプで汲みだした。電気が被害の小さい地区から少しずつ,少しずつ,信号,街灯,公共機関,一般家庭の順に回復していった。電気が帰ってきた箇所を見つけては,2人でうわあうわあと声を上げて喜んだ。嬉しくて涙が出ることを知った。泣いていたら通りすがりのおじさんが「お互い頑張りましょう!」と声を掛けていった。我が家も一週間くらい経ってからついた。テレビで初めて津波の映像を見て,これは自分は死んだと思われたのも無理がないと思った。被災地として挙げられるのは全て見知った地名だった。ぼんやりと眺めた。携帯が回復してネットに戻ってこられたのは3月20日。被害の小さい地
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