三月十二日の話をする。/草野春心
 
が、しばらく都内のエスカレーターは停まっていた。
たぶん多くの人が、
それが動いているような感覚で足をかけ、グラッとつんのめりそうになっただろう。


三月十二日の話をする。
僕がその日、青空の下で感じていたのはそういう「グラッ」だった。
震度だとかマグニチュードだとか、そんな物差しで測ることができない揺れ。
悲しいとか、気の毒だとか、偽善だとか偽悪だとか、そういう次元を超えた揺れ。
地震も余震も終わったとしても続く、存在にかかわる激しい揺れ。
安全地帯に胡坐をかくこの愚鈍な僕でさえそれを感じた。それはどういうことだろう。
それは本当にどういうことなのだろう。
とても僕の手
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