ドーラン/番田 
 
決して鎮火されることはありえないだろう。今回の地震は私個人としてはとても疲れさせられた。今日も会社にたどり着いたのは本当についさっきのことになってしまったからである。火は辺りへ燃え広がるばかり。事態がそう簡単なのではないのだというから、かなり難しいことになってしまったものである。人として、放射能の拡散から逃れるようにしている、薄いガラスの窓の向こうを流れていく、風だけが確かだった。


忘れ去られてしまった昔、私が降りたことのある六本木一丁目の、IBMの建っている場所の鉄の扉のことを思い出した。不安とあきらめを巨大な社会の中で、自分ができるであろうことに対して生きていくことに感じさせられなが
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