ヒューム「ベルグソンの芸術論」(6)/藤原 実
臓器のほとんどが交換された場合はどうなのだろうか。いったいどの部分をもって人間というのだろうか」
「『私』とは何か、『主体』とは何か。…この問いは、寺山修司においては深層への問い、内部への問いなどではまったくなく、まさに表層への問い、外部への問いにほかならなかったのだ。
それは句や歌の作者とはなにかという問いと踵を接している。言葉の錬金術を楽しむその人間は、はたしてその句をひねり、歌を歌った当人、すなわち作者なのだろうか。むしろ作者とは、その句や歌によって逆に作り出された幻なのではないだろうか」
(三浦雅士『寺山修司---鏡のなかの言葉』:新書館)
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寺山修司
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