【批評祭参加作品】遊びごころという本気 ー辻征夫試論ー/石川敬大
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身近なものへの視線から物語の構築、情景設定による舞台づくり、情感を個のレベルから日本語を使う集団、架空の発話者のレベルへと飛躍させる、そのプロセスを詩の方法としているのであろう辻征夫の、その方法論がいつからそうであったのか、以前は寡作で書けない時期もあった状況から一転して多作に転じた転換点を『かぜのひきかた』に設定する時、腑に落ち、つじつまが合うように思う。『かぜのひきかた』以前の辻の詩作品が寡作のカテゴリーに属していたというのは、ある苦悩から出立したであろう内的衝迫が、結果であり結晶体である詩作品となるまでの行程を紆余曲折して、または迷い路に迷って苦悶していたからではなかったか。それが『
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