【批評祭参加作品】遊びごころという本気 ー辻征夫試論ー/石川敬大
『蛙の姿勢』では、「詩はたえず清新なものを求めながら、同時にみずからの淵源をも探究せずにはいられぬものらしく、(中略)詩もまた万葉以来の詩歌の流れの中に立っている」現代詩が詩歌の歴史と隔絶しているのではない、認識の変化と「何もないと感じたときの驚き、裸一貫の寒さ、そしていまごろこういう地点に立たざるをえない無惨さ。何よりもこの無惨さがいま詩がはじまる場所のように思える」という現状認識を語っている。無惨な地点にいる認識と、詩歌の系譜に連なる自負心とは一見背反することのように見えるが実は表裏一体なのではないか、追随する者がいない孤独と詩歌の歴史を俯瞰できる位置の獲得とは同一地平のものなのだ、きっと。
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