【批評祭参加作品】遊びごころという本気 ー辻征夫試論ー/石川敬大
現主体に迫ってみよう。
わたしには辻の詩が、ある物語を構築したり、設定した舞台のなかで、発話者の内面の情感を平明な言葉で吐露することによって成立しているように見える。一方俳句は、詩のエッセンスを摘出することによって、あるいは一篇の詩の核や核に近い部分を切り取ってくることによって成立しているように見える。侃侃六号では四篇を引用しているので重複を避けてこんな句を引用してみたい。
西瓜ひとつ浮かべてありぬ洗濯機
笹舟のなにのせてゆく夏の川
湯あがりの浴衣で越える今年去年
少々は思索して跳ぶ蛙かな
夏館燻製のごとき祖父と立つ
景観の描写が勝ちすぎていていささか
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