【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
 
に自由であったはずがなく、深層心理的に時代へのレジスタンス意識は少なからず持ちあわせていたに違いないのだが、そのことをさらに言えば、富永、中也、賢治に共通の特性として、社会との距離を置いたクレオール性が彼らの作品世界に、同時代にはない梁山泊のような独自性を齎したのだとは言えないだろうか。
 詩誌「荒地」は、鮎川信夫、北村太郎(富永と同じ東京外語仏語部)、中桐雅夫などとともにイギリスの詩人T・S・エリオットの長編詩と同タイトルの詩を出発点としており、田村の詩も翻訳調に読めてしまうが、そのことは、フランス象徴詩の爛熟から退歩した日本の「情調派」から一線を画したいと願った富永との関係性とパラレルで、近
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