【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
た結果として返ってくるものを、詩を巡る問いの答えとしないならば、そこには一つの逃げがある。それは詩作者たることの責任からの逃避であり、自分は投げていない、と主張するのと何の変わりもない。詩に先立つ責任を認めることで、初めてそれは詩としての存在を獲得することができる。決して、詩によってあらゆる社会問題を題材にしようというようなことではない。それが詩であることの倫理的な責任、一つの詩の存在としての重みがそこにあるのである。
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文学極道が存在・人間存在を強調するのも、これ同様に存在が重要であるからだと私は考えている。私がダーザイン氏から学んだことの中で一番大きなものは、そうした存在に対する
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