Drops/しろう
 
という認識で認識を認識している認識。これらの認識が単に私の誤認であるならば私個人でも対処できる可能性は残されているが、ともすれば「わたし」が嘘をついているという事態となると、私個人ではどうにもしようがない。嘘は見破るものであり嘘があるからには嘘は見破られないからだ。あめ玉があめ玉であるならば空からあめ玉が降ってくることがないように、嘘が嘘であるならば嘘は見破ることができない。
…と、ここまで思考を巡らせたところで「かえす」はもう一つ別の字義も持ちうるということを見落としていたことに気付く。ここに至ってようやく、私が誤認を抱えるかまたは「わたしをかえしてください」が虚構を抱えるかの二者択一が回避可
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