イッチャの背中/せかいのせなか
 
もまんざらではなさそうだった。

大阪の芸大に通っていたわたしたちは、校舎へとつづくうんざりするほど長い坂道をのぼりながら、あるいは下りながらぽつりぽつりと話をした。鳥の声が聞こえない場所ではイッチャはひどく寡黙だったし、そのころのわたしには湧けども湧けども枯れずといった種類の話題はなかった。会話が途切れて一瞬ぼんやりするたび早足のイッチャに置いていかれそうになりながら、わたしはひょろ長くて薄い彼の背中をいつもみていた。恋愛感情というのではなくって、ただ単純に、このひとはなにをおもしろがって日々生きているんだろう、と、自分自身たいしてなにも考えていないわたしはそういぶかり、いぶかる気持ちがまた
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