それはガラスのような音がしているけれどもガラスではない/渡邉建志
 
るという想定の。不気味さ。
もうすこし、赤ん坊についてかんがえる必要がある。性について考えるとき、いつもマリアのことを考えていたわたしは、胎内のイエスの視点でものを見ていなかった。イエスはどんな音を聞いていただろうか。フラ・アンジェリコはそこまでは描かなかった。





胎内に育まれたみどり児は生を内包してまだ死のなかにいる。羊水(、そしてまた羊)死んでいる。認識のなかで。でも息をしている。





すべての音がナザレへつながって行く。微笑みをうかべたみどり児が静かに息づいている。星があり、三賢人もやってくる、その下を。オンド・マルトノは、ナザレのよぞらのおとがす
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