キム・ギドク監督 『サマリア』 〜〜ヨルノさんと詩を巡る旅 その2/ヨルノテガム
 
発揮し、殺すことは無かったと思える

罪や犯罪のリアリティは スプーンが落ちるか落ちないか ぐらいの曖昧な偶然性によって支えられているのかもしれない そういう際どいフィクションとリアリティーの綱渡りを監督は演じきり表現していったのではないかと思う 主人公の少女が何人目かの男とベッドを共にするとき可笑しくもないのに笑いが止まらなくなる場面があり こういう繊細な狂いの描写は少女を別人のように変化させ、しかも男の気に障って殺されでもしないかというダブルイメージ、危険な綱渡りの人間関係性を帯びる。 一歩、言葉や感情を踏み外せば奈落の底へ落ちゆく人間たちなのだ





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