「反逆する読者」宣言/KETIPA
 
のイメージを、作者ですら予想できなかったイメージを想起することこそ、詩の読み手に与えられた自由であるべきだと思う。ある程度筋書きのある小説などでは、読み手によって作品を変質させるということは困難だ。まして映画(前衛のぞく)などでは、読み手の生み出すイメージが介入する暇などほとんどない。別にそれが悪いわけではなく、そういうジャンル、そういう形式の作品については、詩とは違った楽しみ方がある。しかし現代詩は、読み手のイメージを作品に反映して、そこから一人ひとり全く違ったイメージを形成できる、数少ないジャンルだと思いたい。そうあってほしい。その現代詩までもが、小説や映画の延長線上のような作り方、読み方をさ
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