「反逆する読者」宣言/KETIPA
 
をされることに、おれは納得がいかない。現代詩でしか味わえない感動体系がないのであれば、現代詩などに未来はない。小説や散文、随筆、映画に吸収されて、立場なく縮んでしまうだろう。同じ土俵で戦えば現代詩などに勝ち目はない。現代詩というフォーマットでなければいけない理由が確固としてなければ、現代詩みたいな表現方法はさっさと廃れてくれていい。

 最後に一つ。おれのように感じている人がもしいれば、もっと声をあげてほしい。寡作のおれがこんなことを言うのもおこがましいけど、いや私の読み方はどっちみち少数派ですから……なんて言ってたら、本当に少数派になってしまい、余計に肩身の狭い思いをするだけになる。そして現代詩自体も過去の表現技法に堕するだろう。どれくらいいるのか知りたい。現代詩自体には独特の魅力を感じるけど、現代詩フォーラムで評価の高い詩にはあまり好きなものがないという方、そこのあなたは違いますか。アクションをお願いします。
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