認識よりも深い「青」(詩論序説ノート)/まどろむ海月
 
な発想(不可知論)を止揚し放棄しました。重きを置くべきは、この私とともに現前する現象ではないか。
 大学でフッサールを学んだときは、カントとの本質的な違いがよく理解できていなかったのですが、その後メルロポンティを読むことを経て、コペルニクス的転回と言えるほどの違いに気付かされたのでした。
 カントの時代なら、知的認識ができる理性的存在である人間は、神に最も近い上位の存在なのだと考えたでしょう。その時代よりもさらに頭でっかちになってしまった現代に生きる私は、重点の置き方を180度転換して、身体性や感覚や感情の存在自体の、つまり生自体の、ありふれた日常の土台そのものの、無限の深さと重さ・かけがえの
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