労働/攝津正
 
後大量の「青春を返せ」的小説を読まされたが下らなかった、青春を返せ問題を解消するために実働に地域貨幣を支払う事にした、と NAM原理に書いていたが、攝津の場合、青春を返せとは思わなかったが、NAM解散後、自分が急激に老いた、というか、年齢を意識せざるを得なくなったのを実感していた。三十四歳、もうじき三十五歳になる。もう若くはない、というのが攝津の口癖になった。
 冷静に考えると、NAMの発想の多くが短絡的で幼児じみたものに思えた。運動に打ち込んだのが間違いだったという後悔は、地域貨幣を受け取ろうと変わらぬであろうし、不登校の子供を階級闘争していると評価したところで戯画に過ぎまい。実に馬鹿げた事だ
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