労働/攝津正
 
史の検討が不十分だとも思えた。協同組合に資本主義からの出口を見たのはNAMが最初でも最後でもない。先人に学ばすして、どうして社会変革などが出来ようか。
 また、柄谷行人個人崇拝も癌だった。最良のNAM会員も、攝津のような最悪のNAM会員も柄谷行人に病的に転移していた。だからNAM終末のあの滑稽で悲惨な出来事が生じた! 攝津にせよ、幾多の総括なるものを経ても、柄谷行人への幻想は完全には消えていない。柄谷行人とNAMの理論と実践が誤りであった、と理性では考えていても、柄谷行人が夢に出てくるのである。攝津は意識はともかく無意識まで規制することは出来ぬ、と諦念を抱いていた。
 柄谷行人は、全共闘の後大
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