労働/攝津正
 
研究者である。攝津は素人だが、倉数さんの知識に圧倒されつつ、いろいろ学ぶものも多い。

 攝津は七時間弱働いて、十七時上がりで帰宅した。攝津(これを僕とか私等と置き換えても一向に構わぬ)は、昨日杉原さんや倉数さんの事を書いたが、彼らが小説『労働』で中心的な役割を果たす筈が無いのだから、自分の書いたのは余計な事だったと反省した。書く事が何も無かったので、つい身の周りの物事に言及してしまう。想像力がゼロの攝津は、自分自身に苦笑した。
 柄谷行人の言う自立した個人とは、柄谷流に捉え返された労働者=プロレタリアートの謂いであった。つまり、マルクスの言う二重の意味で自由な存在。生産手段から自由である=
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