詩が沈黙する時/岡部淳太郎
いう行為に重ね合わせて見ているからなのだろう。だが、どうも周りの書き手たちを見ていると、私と同じように異和の感覚を根城にして書いている人ばかりではないようなのだ。彼等は普通に社会生活を楽しむのと同じような感覚で、詩を楽しんでしまっているように見える。そこに私はある種の停滞を感じて苛立ちを覚えるのだが、それはともかく、社会や世界から疎外されて詩に逃げこんできた私は、その詩の中でも疎外感を味わっているようなのだ。
私はまたしても「宿命の詩人」(ヴェルレーヌふうに言えば「呪われた詩人」であろうか)のポーズに逃げこもうとしているが、それほど詩ではないものは執拗であり、私たち詩の書き手もまたそうした詩で
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