荒地にて1.5/徐 悠史郎
<一匹狼>あるいは<無頼>、あるいは<二丁拳銃>的なガンマンの<荒野>は、アウトサイダーでありながら銃弾の供給や馬の飼い葉を<町>に頼らざるを得ない、皮相的な、いわば<未開に向けて開けた引きこもり>を演出するための舞台装置でしかない。私たち観衆はむしろ、荒野の中に彼の孤独を見ているのではなく、彼の肉体の内部に荒地を見出している筈だ。それが外形的な西部の荒野の表象に溶けて行ってしまい、そのまま取り戻せないとなると、悲しい。そうであってはならない。
いいかえれば、彼ガンマンは<町>の視座からすれば単なる<アウトロー>だが、彼じしん、つまり私たち観衆の感情の移入先の肉体から発する声にしてみれば、それは
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