荒地にて1.5/徐 悠史郎
有の生命現象に内包されていると期待される、地球的生命論理を批判しうる太陽系の斜視的な角度なのである。
(ここである種のトランス的な宇宙、または太陽系の倫理を超えた宇宙倫理にまでイメージを拡大することは避けたい。そのような視座を詩に持ち込むことは、痛ましい同語反復をしか生まないであろう。)
タコ型宇宙人。。。ウェルズによって想像された火星の住人のイメージは、実は地球を批判しうる太陽系の視点ではなく、飽くまで地球の論理によって仮構された、地球型生命体であった。彼の想像力は、地球の重力圏を脱しきれなかったのである。11Gオーバーの推進力を可能的に孕む想像力が、荒地をイメージする際にはひとつの鍵となろ
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