荒地にて1.5/徐 悠史郎
は地球的な意味での可能性や躍動感のようなものをどうしても感じてしまう。ヴァイキングの電送写真を新聞の一面で見たときの第一感は「あ、やっぱり」であった。まったく、殆ど想像どおりの火星表面が、そこにうつし出されていた。(中程度の宇宙少年であった当時の)私は、もうすでに火星には地球の目線が到達しているかのような感じを抱いてしまった。
私の望みは金星、そして木星の衛星であるガニメデ、カリスト、イオ、エウロパ、または土星のそれであるタイタン、海王星のトリトンといったところに移ってしまった。
そこに私がなにを見たいのかというと、地球の意味での生命と比較すれば、おそらくいびつなのに違いないそれら衛星の固有の
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