【批評祭参加作品】迷子論序説/岡部淳太郎
 
う者に任されているのだ。
 しかしながら、「歩行の意志」が陽であり、逆に「意志的な迷子」が陰である以上、前者に多くの光が当てられ、人の生活が前者のルールによって進められるであろうことも確かなことである。たとえ意志的なものでも、迷子はいずれ迷っていることから解放されねばならない。目的のない旅を終らせ、無理矢理にでも目的を設定しなければ生きてゆくことも覚束なくなってくるのだ。そのようにして、「意志的な迷子」である韻文的歩行は、「歩行の意志」である散文的歩行の中へと吸収されてしまうかに見える。だが、また別の新しい歩行者が現れ、同じように「意志的な迷子」たらんとこころざす。そのたびに、目的地に向かってま
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