【批評祭参加作品】客観描写ということ(高浜虚子)/古月
もなお陥穽に嵌っている。その陥穽こそが、「主観」なのである。
虚子の言葉を引用してみる。
「手っ取り早く作者の主観を述べた句、若しくは作者の主観に依って事実をこしらえ上げた句等は、私等から見ると外道である。」
「大衆はとかく感情をむき出しに詠いたがる傾きがある。その感情はもう飽き飽きして居る陳腐なものである。それは好ましくない」
「心に感動なくて何の詩ぞや。それは言わないでも分っている事である。ただ、作家がその小感動を述べて得々としているのを見ると虫唾が走るのである。そればかりでなく、そういう平凡な感情を暴露して述べたところで、何の得る所もない事をその人に教えたいのである。」
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