観念的な略歴(と、とりあえず名前をつけておく)/ホロウ・シカエルボク
が過ぎたときに大きな結果になることだってあるかもしれない
結果のために時は流れるのだ
俺が自分で何かを成し遂げたと思った時は
天にも昇るほど気持ちがいい
俺が自分の中にどんなものも見つけられないとき
濁った湖の底に沈んでいくような気持ち
だけどそんなことを延々と語ってみたところで何になるというのだろう
俺の気分なんて俺の書いてるものとはほとんど何の関係もないのだ
こうしてこれを書いている俺は
どれぐらい前の俺の結果なのか
なにを手にした時の俺なのか
あるいはなにをなくした時の俺なのか?
いつかそんなものについて語ることが出来るだろうか
遺
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