「名」馬列伝(7) アサヒエンペラー/角田寿星
 
は顔面蒼白だったという。
「競馬は結果がすべて」。中舘騎手は「当然の」降板。
しばらく自厩舎の有力馬には乗せてもらえなかった。

その1ヵ月後。なんとか出走できた春の天皇賞、このレースが彼にとって最大かつ最後のチャンスであった。鞍上は蛯沢騎手。
脚元は相変わらず悪く、この頃にはすでに屈腱炎を発症していた。
道中、中段より少し前、歴史的名馬シンザンの最高傑作と言われた1歳上の二冠馬、ミホシンザンをぴたりとマーク。
ミホシンザンのエンジンのかかりが悪いと見るや、外から徐々に上がっていき、関西の大将格であったニシノライデンの後ろにつける。
そしてスパート。いつになく伸び脚がいい。
内に
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