僕の左手/チャオ
 
は物書きになることを決めた。中原中也は「在りし日の歌」の後記で自分の詩生活をこういってる。「詩を以って本職とする覚悟をした日から詩生活と称するなら、15年間の詩生活だ」と。

だから僕は、物書きになろうと決意したときから、まだ、3年の月日しか過ぎてはいない。「在りし日の歌」の場所に立てるにはまだ早すぎる。

そして、ニーチェが湖で転んで永遠回帰説をひらめいたように、僕はラーメン屋のおいしそうなに臭いをかいだときに、人間の根源的優しさ説に思い至った。僕も、ニーチェのように、天のいかずちによって、その言葉の群れを託されたのだ!と自負している。

でも、僕の左手は、本を読むときには何もしてな
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