生きている/生田
物を書き続けるという行為は、嘘をつきつづける事と同義なのだな、と思う。
もちろん、嘘というのはものの例えのひとつである。けれども私は嘘をつき続けるつもりで、物を書き続ける。
web、いや、殆どの投稿の場において、詩人を含む物書きの多くは書き手として短命である。客観的に数字でみてみると、それは明白なことであり、私はそれに目をつむりながら投稿をしようとするが、大抵において窒息してしまう。見てはいけないし、救おうとしてもいけない、それは嘘だからだ。嘘に視界を奪われては実は見えてこないし、救おうとしても大概が救えないのだ。
嘘をつくのには力が要るが、嘘と付き合うのにも力が要る。漫然と相対して
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