『受容〜千慮の朽ち木は湿に溺れる』/Leaf
なるのは
ネオフォビアの所為だからで言語は後退しない
いづれも其れは僕らがその特異性を以てして然るべき姿形になり、帰属せざるを得ない社会自体が都合良く搾取せしめ歪められたまま特異性を孕んだ事を否定するからか、何故か帰納しないので最早潜在的特異性の中に従属せざるを得ない社会は憂慮しながらも趨勢を見極めんと否定するかのような自己矛盾の坩堝に自らが嵌まったのだとしよう
自分の身体なのに自分の身体じゃない、なんというざらざらした質感
見てはいけないものを見たというような悔恨の糸
反面、異にした所作を許容するかような寛容の糸
それらを露骨に誇示する様も、それはきっと
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