現代詩を書いたわけと書かなくなったわけ/KETIPA
ただしそれも、詩語ならぬ現代詩語を、現代詩文法を、一歩も越えるものではなかった。おのおのの詩に用いた表現それ自体には、これまで使われていなかった手法があったかもしれない。しかしそれだって、現代詩風の言葉や文字の羅列以上の何者にもならなかった。表現のための表現に限界を感じるのにそれほど時間は必要なかった。
芯となる、核となる、文字の連なりに付加価値を与える要素がぽっかりと欠如していた。
それを自覚してからは、どう文字や言葉を配置しても、記号的な意味以上を想起するものにならなかった。いや最初から、現代詩だと自称していたものは、単語の組み合わせと切断の産物でしかなかっ
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