荒地にて/徐 悠史郎
 
が試みた跳躍の困難さについては、ここで述べることを省こう。それは今の私の手におえないことでもあるし、ここでは荒地派が「戦後」のイメージを確立するために援用したオーデン・グループやT. S. エリオットの(詩の意味での)行動が、荒地派の活動(もちろん、詩の意味での)の中に響かせていたものについて、端的に指摘するだけでよいと思われる。「have to leap」、跳ばなきゃいけないための、その跳躍の基点たる踵が接するべき足場をどこに<求めるか>。。。その希求のアクションが荒地派の詩的活動のすべてであり、その結果、何が足場として<見出されたか>が、日本という所与の条件のもとで詩を書くというときに、つまり
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