荒地にて/徐 悠史郎
 
す必要があると思う。なぜなら荒地派の経験の中には政治的暴圧体制への非妥協的な姿勢の固持や、『辻詩集』参加者が戦後になってどんな納得のいく申し開きもなく『死の灰詩集』に関わるといったような欺瞞への拒否の精神があるのであり、これに類似した状況が今後も二度と起こらないとは限らないからである。
 これは周辺状況への問いということにとどまらない。むしろ状況において振舞う自己自身への、なによりもまずなされるべき問いでもあろう。そしてまた、このエセーへも加えられるべき。。。



 北川透『荒地論』を、私はまだ読み始めたばかり。引用や言及が本の最初の方に限られているのはそのためだ。もののついでにこの本
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