荒地にて/徐 悠史郎
 
嵌入されていくだろう。
 自由や平和を喜ばない人はいない。そして誰もが愛を欲し、平等であることを求め、自己の行ないの正しからんことを願う。だがそこに問うことや捉え返すということがなければ、それは、はっきり言おう、そこに何の疑いもさしはさまないという点において、どこかの、なにか党派の執行部が回覧してきたお仕着せの綱領や規約、窮屈な運動方針といったものと、さほど変わりはなくなってしまうだろう。このような場で製作される反戦詩に生彩がなく、現実感がなかなか伴わず、どうかすると教科書のような平和や正義に流れていってしまう傾向があるのは、むしろ当然のことだ。
 いくども問い、疑うということ。疑うというのは
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