荒地にて/徐 悠史郎
 
いだろうし、ただ単に思ったことや感じたことが深められ、作品に再構成されていくということは起こりえない。
 もしこの問い、いくども繰り返されなければならないこの問いを欠くとき、反戦の原資として用意されるものは、(国権の発動たる国際紛争に巻き込まれていないという意味では)平和このうえない日本の、そこらへんに散らばっている緩慢な自由、虚飾をまとった正義、被抑圧者を顧みたがらない平等、相互不信を拭う気を持ちあわせていない愛、「反戦じゃなくて脱・戦争だ!」というあまりパッとしない思いつき(可能性は感じるが)、そういったものの寄せ集めになるだろう。こうしたものが、なんの疑いも問いもなく、無媒介に詩の中に嵌入
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