荒地にて/徐 悠史郎
 
であったということはできるだろう。
 さて、なによりもまず<時代のなかで、自分の言葉で書くこと>。むろん反戦詩も、そのような絶対条件からまぬがれることはない。反戦という立派な社会的行動をしているからといって、多少弛んだ詩を書いてもいいということはないし、正義や愛(この「人間の味方」たち!)に胸いっぱいに駆られて、自分が思ってもいない、感じてもいないことを書き付け、書いたことをさらに捉え返して一層深く追求していくということもないままにそれを「作品だ」と称することも許されてはいないだろう。ちなみに、「思ってもいない、感じてもいないこと」を言語化することでも作品は成立する(と思う)。だから、そのような
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