荒地にて/徐 悠史郎
ておきたいことは、ここでは戦後風景はまったく否定的に、絶望的なもののように取り扱われてはいるが、しかし、詩としてはこの風景は非常に肯定的に(つまり、いってみれば効果的に)描かれているのだということだ。
荒地派は、大きなくくりでいえば「現代文明」への批判的関与を出発点としていると言って差し支えないだろう。
ところで、<荒地>の詩的共同性が現代文明を<破滅的要素>において、
<亡びの可能性>においてとらえるとき、そこに同時に、そのような文明に
対する反逆的意志が強調されるに至るのは、論理的必然というものである。
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