荒地にて/徐 悠史郎
オーデン・グループにおけるそれ=筆者補)という、擬似戦後意識のフィルターを通してしかあらわれようもない風景」なのだという点に集約される。だがそのあとすぐに、こうした「擬似戦後意識のフィルターを通して眺められた戦後」を描いてしまった荒地派の面々を、「しかし、この側面を表層を撫でるように否定的にのみ(上二文字に傍点=筆者注)みることはできないだろう。どの詩的時代においても、支配的な時代感情や、それに対応した修辞的な流行現象を随伴させないでいることはむずかしい」と、きちんとフォローもしている。この荒地派同人に大小の差はあれほぼ共通して現れた修辞的現象を、北川はかいつまんで「「荒地」特有の修辞的共同性」と
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