鳥の論理と虫の論理など(2)/Giton
反応は、現象としてはヒステリックであったとしても、長い目で見れば、案外、民衆の鋭い感性の現れであるかもしれない。
また、もうひとつの問題として、局外者(=事態の結果に対して責任を負わない者、負いえない者)が、はたして、当事者に対して「説く」権原を持ちうるのかどうか?もし持ちうるとすれば、どんな場合に持ちうるのか?単に「客観的だ」というだけで、権原として十分なのか?これは、あまりにも大きな問題なので、これいじょう触れませんが、結論を言えば、私の答えは否定的です。
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4 外国人ないし局外者として国際問題に関わるということは、つねに悩ましい問題に逢着することであると思います。現地の民間
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