純粋正義への架橋23/チャオ
 
体験にはならないのだろうか。
夢の断片を丁寧に摘むんでやる。それを経験とするには、思考と思考を混濁させ、方向をつけてやる。感想と意思。反省と、後悔。日常の行為と同等まで、僕は試行錯誤する。

それでも夢は夢。
無意味なことなのかもしれない

そう思ったとき、僕はふと眠りに落ちていたことに気がつく。果たして夢の意志はどこへ向かうのか。

よくよく考えれば、内的体験と似たようなものだ。それらの経験は無に近く、はたまた、生きることよりも生きることを可能にするものだ。
すべてが経験しなければいけないわけでもない。常に、何かに向かって思考し続けることで、よりよい行為が構成されていく。

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