毬藻/黒田康之
 
にある若い頃の姿になっていたのだが、別に驚きはしなかったという。なぜならそれにはある種の必然感があり、その才媛と母の違いは徐々に数年をかけて明確になったからだという。
 一方、彼の父は幼年期に戦争を体験した以外は特にこれといったこともなく、息子とは違い、やや女性的なところがあって、人にお嬢様と揶揄されることもあったが、旧家の息子にふさわしい国立大学を出てすぐに家業を継いだ。そこからの手腕はとても鋭く切れ味のあるものだったので、やはり三十代半ばでその家業を運営する立場となって現在に至るのだという。
 彼は父親のことをあまり語らなかった。だが入れ替わったことに違和感はなかったという。気がつくと自分
[次のページ]
戻る   Point(0)