生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
 
世界(自然/他者)に身を委ねてきた」という過ぎ去った事実を見いだした。けれどもこれは、不当な推理であるのかもしれない。これを判別する方法は、実際のところない。

ただ、これが、宗教的な論理として、かなり意味を持つものであるということは認められると思う。経験的にも観察される事実であるが、自己の生への感謝は、他者の生への尊重へとも繋がる。宗教はこのリンクを見いだそうとする営みでもある。私が他人を殺さないというのは、私が私の生の貴重さを(意識しない間に)知っているという事実、私が知らぬ間に「世界に身を委ねてきた」ということを、私自身の体が正当に認識しているという事実、を指し示している、という可能性は
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