生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
 
なる現在にも先だって背負わされた借財に対して責任を負うこと、それも、この借財について何らかの考えを抱くに先立って責任を負うこと、それが責任という応答である」(p42-43))

この、私が「忘れてきた」事実、「私が世界(自然/他者)に身を委ねてきた」という事実が、「顔」を「殺すな」「生かせ」という命令の聴取の中に翻訳されている、というのは、実際のところ殆ど論証不能な独断論であるように私には思われる。「痕跡」は何かの「痕跡」として手がかりを残すのだが、その「痕跡」が実際「何者の」痕跡であるのかは、そう自明なことではない。レヴィナスは「顔」(を「殺すな」「生かせ」)という「痕跡」の中に、「私が世界
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