生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
。その者は、私と同じように、危険に曝され、死に曝されている。私はそれを守ろうとするかもしれない(「生かせ」)。それとも、私はそれを放って別のところへ行こうとするかもしれない(「殺すな」)。或いは、無防備である瞬間を好機と捉え、その者を制圧・殺害しようとするかもしれない(ホッブズ的合理性)。私はいずれかの命令を聴取するだろう。その聴取のあり方において、私は、私がそれ以前に曝されていた諸力の様態を、私自身において、ある意味反映する。私の命令の聴取のあり方は、それ以前の私の記憶不可能な諸事実を、ある形で私の意識に翻訳しているということになるだろう。
「顔」は「痕跡」である(「顔は語ることの曖昧さで
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