華/汰介
 
事を愚痴った根暗日記があるらしいが、
それは、作品の本質とは直接的には繋がらない、また別の事だろう)

一方清少納言の場合は、行き成り「春はあけぼの」とやる。
行き成り「春は明け方が良いよね」と、言われても「はあ、そうですか」である。
その背後に流行やこう言う感じ、清少納言のキャラクターと言ったニュアンス(ニュアンスなのだ)を、
こっちが抱き合わせて考えないと面白くないし、見様によっては「阿呆」である。
(逆に誰だったかその当時の偉い人に誉められて「誉められちゃった♪」
と言う実際の生活のキャラクターも合わせて、作品の本質に含まれる。
作品と、実生活の境界が曖昧なのだと思われる)
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